となりのトトロは、どちらかといえば「おとぎ話」や「童話」の類に類する物語で、大人が鑑賞するには割と稚拙(悪気はありません)な
ストーリーです。
それなのに何故? 私たちは大人になってもとなりのトトロを見て、心温まる思いに駆られ、不思議な安堵感を覚えるのでしょう。
多くの魅力的な
キャラクターや、数々の素晴らしい演出などはもちろんですので、ここではそれを一旦横に置いておくことにしましょう。
私は現在30代の半ばですので、物語の背景となっている時代にはまだ生まれていなかったのですが、それでも何故か不思議な懐かしさや郷愁を感じずにはいられません。
それが何なのかを思った時、私にとっては物語の中の「里山」の存在がその感情を沸き立たせているのではないかと気付きました。
「里山」
最近になって、私と同年代か年配の方々にちょっとした人気の存在になっているようです。
癒しを求め、自然を求めて散策に行くのが、ちょっとした「贅沢」のようになっているようです。
森の木や沢の水から多くの「マイナス
イオン」が放出されてるからでしょうか。
私たちが足を踏み入れる里山の入り口は、その地形上「谷間」であることが多く、意外と広葉樹の森やシダ類の多い苔生す谷に出会うことができます。
メイが
トトロに出会った大クヌギの周辺のような雰囲気の場所が意外とあります。
季節によってはワラビやゼンマイ、トゲウドなどの山菜を自分の食す分だけ、そっと頂くこともできます。
実は「里山」という言葉は、私が思っていたイメージとは本来の意味が違っていました。
私の中では「人里近くにある昔ながらの森を伴った小規模な山の一部」のような感じで捕らえていたのですが、「里山」と定義されているのは「生活の資材を確保することのできる農業林」といったもののようです。
人里近くにあるというだけでなく、その山から得たものを生活の中で使用し(薪や簡単な建材なんかですね)、かつ農業用に確保されていることが言葉的な条件の様なのです。
まぁ、「里山」という情緒溢れる心の中の情景は、その人のイメージするもののままでいいじゃないかと思いますがね。
余談になってしまいますが、最近「里山」に足を踏み入れると、コンビニ袋や空き缶なんかのゴミを見かけます。
私は別に自然保護を強烈に訴えているわけでもありませんし、知らずに自分も自然に対する悪影響の元になっていることもあるとは思いますが…
相手の望まないものは「ギブアンドテイク」になりませんよ。「里山」が、私のイメージの意味合いでも、本来の定義においても、「共存」するものであることには変わりはないのですからね。
簡単にできることはやればいいんですから…ね!
となりのトトロ[R792]シチズンからくり置時計◆
となりのトトログッズ